3月27日(火曜日)

仕事の方は至って平和。17:30帰庫でした。売り上げの事を言ったら切りが無いけど、3月は比較的並びが少なかったのかな?いや、そういう満足はしてはいけないな。並びと言う物を意識する事なく、仕事が出来なくちゃいかんよ。ストなんかやっている場合じゃないぜよ。

iモード事件 松永真理著を今さらながら読了。初版から10年、文庫化から9年である。Amazonの古本屋から1円+送料でゲットした物です。読むのは初めての本だけど、iモード誕生の秘話はこの本の著者だけでなく、色んな人がメディアに出て紹介していた。なので、この本を読み終わったところで特別へぇ〜な事はなかったわけです。まぁ〜それでも自分の記憶のために、この本の事を記載しておくか。

とらば〜ゆの編集長だった松永真理さんが、ヘッドハンティングでDoCoMoにとらば〜ゆした。→超アナログ人間の筆者がiモードの開発と言うか立ち上げに深く関わり、iモードの生みの親とまで言われるようになった。→そこで起きたエピソードと言うか、秘話が満載の本です。

なんで今更この本を読んだかと言うと、iモードと言う形のガラケーにひとつの区切りが付こうとしているからだ。今や携帯電話は、どんどんスマフォやiPhoneに移行して行っている。僕の勝手な予想では、らくらくフォンの様な物と、スマフォに二極化して行くと思っている。そしてそう思っていながら、iモードでインターネットを知ったユーザーが、スマフォを本当に使いこなせるかな?と僕は考えているのである。

この本の中にも出てくるように、超の付くアナログ人間の著者が使えるような、新しい携帯電話ってのがiモードの大きなコンセプトのひとつである。その後のiモードの成功を見れば、正しかったでしょう。僕もそう思います。ただこのポケットベルと携帯電話がくっついたよなガラケーから、パソコンのデータを持ち歩く(PDAがそうであったよにスマフォもパソコンあっての物だと思う)ってな発想のスマフォに移れるのかなぁ〜・・・

僕が知っている限りスマフォは、パソコン本体と同期しないで使い続けるのは難しいと思う。iPad(ちょっと携帯電話から外れるけど)などは、パソコンなんてとても扱えないよってな老人が、孫の写真を見るために重宝してるなんて話は聞く。でもおそらく、そのiPadをちゃんと管理している娘なり息子なりがいるんであろうな。そう考えると俺が思って入以上に、ガラケーって生き残るのだろうか?

何がいいたのか?ポケットベルと携帯電話が合体したようなiモードの誕生は、評価されて当然だと思う。パソコン本体との互換性はともかく、モバイルツールとしては素晴らしい物だ。ただどうしても過渡的な物にしか見えないんだよなぁ〜

パソコンがあって、モバイル版がある・・・その発想の方が健全だと思うのは俺だけなのか?でもその逆の発想で出来たのがiモードだ。インターネットとモバイルの窓口を広げた・・・好き嫌いの問題なのかなぁ〜

俺は大きな物が小型化して行ったり、プロの使う物がコストが安くなり、アマチュア向けにその商品が開発されるって成り行きの方が好きです。そして携帯(この場合はガラケーを意味する)で、何でもやろうって発想は大嫌いです。パソコン・タブレット端末・スマフォ・ガラケーそれぞれ違う物なのだ。そんな事言うと二言目には「あんたと違ってそういう事に詳しくない」などとのたまわる輩がいる。でも形が違う事くらい解るでしょ。だから別の物なのだよ、とだけ言っておこう。

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