12月31日(木曜日)

昨夜ボボ青汁さんと連絡を取ろうとしたが取れなかった。ティアラさんに電話しても出ない。日記をアップし終わった頃ティアラさんから電話が入る。俺としてはボボ青汁に液晶モニターを引き取ってもらって、その代わりにちょいと仕事をお願いするつもりでいた。それだけの事なんですけどね。ボボ青汁さんは、携帯電話放置プレイ状態だったらしく(すでに寝正月モード)それで上手く行かなかったみたい。

結局、二俣新町付近でウロウロしている?ティアラさんを拾って、ボボ青汁さん宅に伺いました。5年落ちの液晶モニターを恩着せがましく置いてきて、ちょいと頼みごとをする。おまけにもちやらハムやら貰ってしまった。今回は俺の勝ちだな。

7:00起床。別になにもする事は無い。通勤快速エブリィの大掃除でもするか。会社の車庫に行く。一応GIGAも簡単に洗車して午前中が潰れた。

午後からメインパーソナリティが休んでいる、大竹まこと ゴールデンラジオ!を聞きながら、自転車で小岩のヨーカ堂へ。うちから小岩まで30分だな。帰りは気持ちがよかったので、江戸川を下り会社経由で戻って来ました。途中から風が出てきて急に寒くなったけど、気持のいい青春サイクリングでした。

江戸川土手から一枚。焼き芋やの基地だな。この時期ならではの光景なのかな?

そして柄にもなく、一年を振り返るか。まずは仕事。

去年の秋に起きたリーマンショッック以降、下降の一途と言ってもいい。特に2月は鳴かず飛ばずで、こんな月が続いたらどうなるのだろうか?そう思ったものです。年間を通して言えば、なんとか格好がついたという所だけど、見通しは暗いです。別にうちの会社がダメというわけではなく、社会全体が駄目なんだからどうしようもないよね。会社が存続して、仕事があるだけ幸せなのでしょう。

写真

僕が所属している東都寫眞團Tokyo/Jpanがなかなか面白くなってきた。昨日今日カメラを持った人から、長年アマチュアとして活躍した人、果てはプロまでいる。技術的には開きがあるけど、これが面白い形で作用していると思います。僕自身も気張らずに、カメラや写真を楽しめたことは○だな。

クルマ

我が愛車BXは車検を前にセーフティーローダーに乗ってキャロルへ・・・そのまま車検となったけど、高額な修理費用が・・・’92製だから17年落だ。それでも諦められない。とにかく年明けに修理を済ませる予定です。このクルマを諦められない・・・

デジタル

インターネットの回線を、ひかりoneに変更した。ケーブルテレビの呪縛が溶けたわけです。ホームゲートウェイというモデム?は、なかなか良い出来で、ブロードバンドルーターの機能も備えている。どこが良い出来なのか?と問われれば、何も考えずに使えるというところが出来の良さだな。当分この回線を使うことでしょう。

そしてこのひかりoneを契約したことでヨドバシカメラのクーポン券を2万円分もらいました。これに現金をプラスして買ったのが、iPod touchです。しばらくiCalを中心に使っていたのだけど、PHS300なる飛び道具を購入してから、モバイル環境に激変が起こった。これはイーモバイルのD02HWと接続してWiFi環境を作るものです。仕事で待機時間が長い私は、今までASPIRE Oneを使っていきた。でもこの環境になってiPod touchでTwitterを楽しんでいます。

これに伴い、auの契約をちょっと変えた。パケット通信の契約をダブル定額ライトにした。auの携帯では一切ブラウザを使うサービスをやめた。一部の有料の契約も解除して、事実上メールだけです。メールは会社とのやり取りがあるからね。

Mac miniを壊して買い直したのも今年だ。壊した自分がいけないのだけど、修理にかかった値段の2倍かかるってどうよ?勘弁してくれよ、Apple。

そして土壇場に来てモニターの不調。でも結果としては使えるみたい。なんだかなぁ〜・・・新しいのかって良かったんだか、悪かったんだか・・・でも24インチワイドって必要か?横よりも立てが欲しいと思う私・・・

オヤジの死

これには正直びっくりした。飯が食えないと言い出したのが9月25日(お袋談)それからかかりつけの医院に行き、市川病院へ行けと紹介状を書いてもらう。そこで舌癌と診断された。この時点でステージ4だ。このことを聞いた時点でお袋に「もう助からないから覚悟を決めた方がいい」といった。

そして10月16日。たまたま早く家に帰って来ていたのだけど、病院から連絡があり、「奥さんだけでなく息子さんも一緒に来てください」と言われて市川病院へ出向きました。まぁ〜早い話、ここじゃ手をつけられないから、柏のがんセンターへ行ってくれということです。

流石にオヤジには絶対に助からないとは言えなかった。医者もネガティブなことは言うが、十分助かる可能性があるという。僕はこれを真っ向から否定した。「もっとネガティブな部分をはっきり言ってくれ」と物申した。オヤジ自信は無知というかお気楽で、手術で復活できると思っていたようだ。ある意味ポジティブで、落ちこむよりはマシかも知れない。でも大変な手術だということと、死を覚悟するつもりで病気と闘わないと本当に死んでしまうということを言い続ける。メスを入れないで治療して、場合によっては最悪のことも考えてくれとも言った。そして先生にも、そうなった場合は苦しまないようにモルヒネはてんこ盛りでお願いしますとも・・・ここまで言ってもオヤジは治ると思っていたらしいけどね。

11月5日に柏のがんセンターに入院するまで自宅にいた。この間もどんどん悪くなっていくのがわかる。叔父たち(おやじの兄弟)毎週のように来てくれた。最初のうちは俺がもう助からないとしか言わないので、いい顔をしていなかったようだ。でも癌の進行状況を見たら、オヤジの死を認めざろう得なかったようですね。

入院してすぐに、喉を切開して流動食を取れるようにした。これで完璧に声が出なくなった。なので、この後は筆談になりましたね。そしてノートに、手術はいつか?と書いて気にしていた。俺が手術に反対していることも、心配の種だったようです。この心配の種は取り除いてやらねばならない。病院に行ったときにオヤジと二人になり話した。(声はでないけど)これが11月8日です。「オヤジ、手術するのか?大変な手術だぞ。まともな手術で治らないとわかったら、認可されていない薬や術式も試すか?実験動物みたいになるかもしれないぞ!毒を飲んで治るなら、毒でも飲むか?」この質問にオヤジは嬉しそうに大きく頷く。「よくわかった。明後日火曜日に、俺も仕事休んで先生と話すことになっている。どんな書類にもサインして手術するように頼むからな。ただし検査結果が悪かったら手術も延期だ。それまで我慢しろ!!」結局42年間の親子関係で、この部分だけがまともな会話だったな。俺にとっては滅茶苦茶なオヤジだったからね。

そしてその11月10日火曜日が来た。担当の先生は手術出来ないコトを促してきた。やっぱり・・・僕は入院した日にもこの担当医師と話した。あの腐った体にメスを入れるなんて、神への冒涜だと思っていたからだ。おそらく市川病院でも手術出来ないことはわかっていたのだろう。ただ、今は癌を告知する代わりに、死ぬまでに希望を持たせる説明を、患者側にするのでしょうね。最終的に11月17日に手術不可能と言われました。わかっていたので、俺はこの話し合いに参加しなかった。この日はお袋の誕生日で、とんだ誕生日プレゼントをもらっちまったもんです。

緩和病棟(院内ホスピスのようなものか?)に移ったのが11月25日だ。この日オヤジの古くからの友人から、俺が預かっているおやじの携帯電話に連絡が入った。癌と分かってすぐに見舞いに来てくれた人で、多忙で見舞いに来れなかったという。状況を説明して見舞いに行ってもらった。あとから聞いたのだけど、このおやじの友人が「俺より若いんだからがんばれよ!」そう言ってくれたらしい。これに対してオヤジは、大きく手を振って手で×を作ったという。もう、はっきり死の告知は受けていたからね。そしてこの二日後に逝ったわけです。

思えばお袋が退院してきてすぐにオヤジが自分の写真を持って来た。BBQをやったときに友達が撮影したものらしい。それをわざわざ額に入れてくれたのだ。俺はその写真を見て「遺影に丁度いいじゃん!!」そう言った。普通ならそういう冗談をオヤジは嫌う。怒ることさえあるのにニコニコしながら「バカヤロー」なんて言っていたわけです。反対にそういう冗談が好きなお袋は「縁起でもない」と怒っていた。

自分で遺影を持ってきて、舌が痛いと言ってから2ヶ月で逝ってしまった。おまけに金曜日の夜に死んで土日で通夜と葬式を済ませてしまったオヤジ・・・この部分を見習うことにします。最後は周りのことを考えてくれました。

個人的にはこんな年だったけど、来年はもっと悪くなるだろうな。みなさんよいお年を!!

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